ここ数週間、調子が落ちていた。手は動くのに、何をやっても手応えがない。そういう時期に、自分の状態を言葉にすると、決まってこうなる。「この1か月、何もやれていない」。

本気でそう思っていた。誰かに「この1か月で何をやりましたか」と聞かれたら、迷いなく「ほとんど何も」と答えたと思う。嘘をつくつもりはなく、それが正直な実感だった。

そのあとで記録を数えて、実感がかなり外れていたことを知った。同時に、本当に手をつけられていないものが1つ、はっきり残っていることも分かった。この記事は、その両方の話だ。

自己評価は割り算なのに、不調の時は分子も分母も消える

自己評価というのは、たぶん割り算に近い。分子に「実際にやったこと」、分母に「やるつもりだったこと」を置く。この2つが揃って初めて、「7割はできた」「3割しかできなかった」という評価が成り立つ。

不調の時に私に起きたのは、片方が下がることではなかった。分子も分母も、同時に思い出せなくなっていた。

何をやったかが出てこない。先週の自分が何に手をつけたのか、輪郭がぼやけている。それだけでなく、そもそも何をやるつもりだったのかも、はっきりしない。「あれをやろうと思っていた気がする」で止まる。根拠が二重に失われる。

それなのに、評価だけは出る。割り算をしていないのに、答えだけが先に出てくる。「ダメだった」。

これは計算結果ではない。その時の気分が、結論の席にそのまま座っているだけだ。気分は根拠を必要としない。数えなくても断言できるし、反論もしてこない。だから少なくとも私の場合、不調の時の自己評価は、いちばん自信満々な形で、いちばん当てにならなかった。

数えてみたら、1か月で9本・約52,000字あった

実感が当てにならないなら、外にある記録を見るしかない。私は自分のサイトの記事を、公開日で数えた。数える窓は、自己申告と同じ「この1か月」に合わせた。6月22日から今日までだ。

その1か月で、記事が9本。日本語の本文だけで、およそ52,000字。

しかも、そのうち4本は6月22日の一日で公開している。緊張しない方法を探すのはやめて緊張する前提で実力を出す話、試験中の時間配分とマークミスの防ぎ方、前日の夜の過ごし方、当日と前日に何を食べるか。受験生向けの記事を、1日で4本出していた。

数える前の自己申告は「ほとんど何も」だった。記録は9本・約52,000字だった。この差は、事実の差ではない。想起の差だ。やったことは実際に存在していて、私の頭の中からだけ消えていた。

ここで大事なのは、記憶が「少しずれていた」のではないということだ。ゼロと9本は、ずれではなく別物だ。少なくとも私の自己申告は、精度が落ちていたのではなく、そもそも機能していなかった。

それでも「実はやれていた」で終わらせない

この話を、ここで終えると気持ちがいい。「不調でも実はやれている。だから自分を責めなくていい」。読み物としても収まりがいい。

でも、それは嘘になる。

6月12日に、私は【OSS 挑戦記 ①】初めてのオープンソースを始めるという記事を出した。人生で初めてオープンソースをやる、という宣言の記事だ。その最後に、こう書いている。「まだ準備の途中なので、公開できる形になったら、またこの場所でお知らせします」。

1か月以上たった今も、その報告は書けていない。OSS 挑戦記の②は存在しない。公開できていないからだ。これは記憶の歪みでも、気分の問題でもない。単純に未達だ。

だから、正確な結論はこうなる。やれていたことと、やれていなかったことが、まだらに混ざっていた。「全部ダメだった」は間違いで、「実はちゃんとやれていた」も同じくらい間違いだ。

不調の時に壊れるのは、評価の方向ではなく解像度なのだと思う。悪い方に偏るというより、まだらだったものが一色に潰れる。潰れた結果として、たまたま暗い側に振れる。だから対処は「もっと自分を褒める」ではなく、「まだらを、まだらのまま見えるようにする」になる。

止まったのは「重い工程」だった

まだらの並び方には、規則があった。動いたものと止まったものを並べると、こうなる。

  • 動いた:記事を書いて出す。すでに頭の中にあるものを、文章の形にして外に出す作業。
  • 止まった:OSSの公開。何をどこまで公開するか決めて、やったことのない手順を調べて、他人の目にさらす作業。

私の場合、前者は何度も通った道で、後者は「決断」「未経験」「外部公開」が3つ同時に乗っている。重さがまるで違う。

そして、不調はすべての作業を等しく止めるわけではないらしい。私の場合は、重いものから先に落ちた。 慣れた工程は、調子が悪くても惰性で動く。決断のいる工程は、最初の一歩で止まる。

厄介なのは、落ちた方が記憶に残ることだ。重い工程は、たいてい一番やりたかったことでもある。それが止まっていると、視界がそれで埋まる。実際には軽い工程が9本ぶん動いていても、「全部ダメ」に見える。

ここは私の一例なので、一般法則として断定はしない。重いものから先に落ちることも、落ちた方が記憶に残ることも、私のこの1か月をそう説明できたというだけだ。何が重くて何が軽いかは人によって逆になる。書くことが一番重い人もいる。言いたいのは中身ではなく、重い/軽いで分類するという操作そのものが効く、ということだ。

なぜ記憶がこうなるのか(傍証として)

心理学には、気分と記憶が結びつくという話がある。気分が落ちている時にはネガティブな出来事のほうが思い出しやすくなる、という現象は古くから知られている。また、人は「思い出しやすさ」を「実際の多さ」と取り違えやすい、という指摘もある。失敗が思い出しやすければ、失敗が多かったと感じる。

ただし、これは私の体験の証明ではない。研究が示すのは集団の傾向であって、私の6月を説明したわけではない。私が言えるのは「記録を数えたら自己申告と大きくずれた一例があった」だけだ。ここは推論として読んでほしい。

とはいえ、対処を引き出すのに研究は要らない。結論は単純で、記憶に採点を任せない、それだけだ。

記憶ではなく記録で評価し直す手順

ここからは具体的な手順にする。全部やらなくていい。1つでも入れれば、不調の日の自己評価の質が変わる。

1. 自己申告ではなく、記録を数える

「今月どうだった?」と自分に聞かない。カレンダー、提出履歴、アプリの履歴、ノートのページ数——外にあるものを開いて、日付と個数で数える。 なぜ効くか: 気分は結論だけを出すが、記録は根拠を出す。消えていた分子が復活する。

2. 数える単位を、調子のいい日に決めておく

記事なら本数、勉強なら解いた問題数、ページ数、○×の数。「がんばった度」のような主観の指標は使わない。数えたら1つと分かるものにする。 なぜ効くか: 不調の日に「何を数えるか」から考えると、その決定自体が重すぎて手が止まる。決定は元気な日に済ませておく。

3. 期間を日付で区切る

「最近」「この1か月」のような言い方で振り返らない。「6月22日から7月22日まで」と、始まりと終わりを日付で切る。 なぜ効くか: 曖昧な期間は、いちばん悪かった数日で全体が代表されてしまう。日付で切れば、悪い日と良い日が同じ土俵に並ぶ。

4. 止まった作業を、重い/軽いで分類する

止まっているものを紙に並べて、それぞれに「決断がいるか」「初めてか」「他人の目に触れるか」で印をつける。印が多いものが重い工程だ。 なぜ効くか: 「自分が止まっている」ではなく「重い工程が止まっている」と分かると、対処が性格改造ではなく作業設計になる。性格は変えられないが、工程は分割できる。

5. 不調の時は、意図的に軽い工程へ寄せる

重いものを気合で押さない。判断の少ない反復に寄せる日を作る。勉強なら、新しい単元に手を出すより、単語や熟語のように「解く」以外の判断がいらないものを回す。passed.jp の英語問題集を使っているなら、解き終えた直後に出る一覧で自分の解答と正解を〇×で突き合わせ、×だった問題の解説にだけ戻る、という回し方が、判断の少ない工程になる。 なぜ効くか: 軽い工程は不調でも動く。そして動いた記録が残れば、次に数える時の分子になる。

6. 目標は、記憶ではなく外部に書いておく

やるつもりのことを、日付つきでどこかに書く。人に言う、ノートに書く、公開して宣言する。形式は何でもいい。 なぜ効くか: 分母が外にあれば、不調でも消えない。私が「OSSの公開が未達だ」と名指しできたのは、記憶していたからではなく、6月12日の記事に書いてあったからだ。書いていなければ「何かやり残した気がする」という、対処のしようがない霧で終わっていた。

7. 未達は、範囲を限定して未達と認める

「OSSの公開が、1か月以上できていない」と書く。「自分はダメだ」とは書かない。 なぜ効くか: 範囲が限定された未達は、次の一手が決まる(何から片付けるか)。人格まで広げた未達は、何も決まらないうえに、他の動いていた部分まで巻き込んで消してしまう。

8. できれば、数える作業を自分以外に任せる

友人でも、家族でも、AIでもいい。「6月22日から7月22日までに何をやったか、記録から数えて」と頼む。 なぜ効くか: 数えている最中も、気分は「どうせ少ないに決まっている」と横から口を出してくる。他人が数えると、その声が入り込む隙間がない。

私が自分に禁じたこと

ここからは読者への指示ではなく、私が自分に課したルールとして書く。同じ罠にはまっている人がいたら、写して使ってもらってかまわない。

  • 不調の最中に、総合評価を下さない。 採点者が壊れている時に出た点数は、点数として扱わない。数えるのはいい。結論を出すのは、数え終わってからにする。
  • 記録を見ずに「何もやってない」と結論づけない。 私がいちばんよくやる間違いで、いちばん簡単に潰せる間違いでもある。記録の付け方にもよるが、私の場合、数えるのに何分もかからなかった。
  • 逆に「実はやれていた」で全部を許さない。 これは自己弁護で、次の一手が出てこない。数えたあとは、未達を必ず1つ名指しする。
  • 期間を曖昧にしたまま振り返らない。 私が「最近ずっと」で始めた自己評価は、たいてい誇張になっている。
  • 未達の原因を性格に帰さない。 「意志が弱い」で止めると、対処が「気合を入れる」しか残らない。工程の重さに帰せば、対処は「分割する」「順番を変える」「軽い日に回す」になる。
  • 不調の日に、いちばん重い工程へ突っ込まない。 挽回しようとして重いものに手を出し、また止まり、失敗の記録だけが増える。私の場合は、落ちている時ほど重いものに触らないほうが、結果が良かった。
  • 記録を細かくしすぎない。 記録そのものが仕事になった瞬間に続かなくなる。私には1日1マスで十分だった。

夏に「全部ダメだ」と感じている人へ

夏は、これが起きやすい季節だと思う。時間があるぶん計画が大きくなり、大きい計画ほど分母が曖昧になる。おまけに暑さで消耗すると、私の場合は思い出す力まで落ちた気がする。分子は思い出せず、分母は最初から曖昧で、残るのは「全部ダメだ」という感情だけになる。

やることは2つだけでいい。

まず数える。7月に入ってから解いた問題の数を、日付で数える。結果がどちらに転ぶかは、数えてみないと分からない。思っていたより動いているかもしれないし、思っていたとおり少ないかもしれない。どちらでもいい。大事なのは、感情ではなく記録のほうに答えを出させることだ。

そのうえで、本当に手をつけられていないものを、1つだけ名指しする。「全部」ではなく1つ。数えた結果が良くても悪くても、この1つは必ず出す。ここを飛ばすと、数える作業はただの気休めになる。

私の場合、それはOSSの公開だ。1か月以上、まだできていない。だからこの記事の最後に書いておく。次に書くべきなのは、OSS 挑戦記の②だ。

なお、勉強の伸びが止まった時に、やる気ではなく仕組みで立て直す話は、勉強が伸び悩んだ時に、やる気ではなく『仕組み』で立て直す方法のほうに書いた。あちらは「進み方」を直す話で、この記事は「自分の評価が当てにならなくなる」話だ。順番としては、まず数えて現在地を確定させてから、あちらを読むのがいいと思う。私は、物差しが狂ったまま計画を直そうとして、直した気になっただけで終わったことがある。